映画。
コクリコ坂から、かぐや姫の物語、思い出のマーニー、ヱヴァンゲリヲン序・破、おおかみこどもの雨と雪、バケモノの子、星を追う子ども、陽なたのアオシグレ/台風のノルダ、アバター、インセプション、インターステラー、ダークナイト、ダークナイトライジング、バットマンvスーパーマン、アメイジングスパイダーマン2、スターウォーズ フォースの覚醒、ゴジラ、シンゴジラ、バクマン、
他に何を観たっけ。
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ルーヴルNo.9というのを見てきた。なんかフランスのバンドデシネ作家と日本の漫画家を十数人ほどピックアップして彼らが描いたルーヴル美術館をテーマにした作品を展示している。何となくの感想だけど、フランスの作品は現実と空想を行ったり来たりしながら風刺的に働いているようなところがあるなあ、と思った。ゆきてかえりし。現実に存在するもののスケッチと漫画的なイラストを重ね合わせる表現も多かった。典型的なところではルーヴルの美術品とそれを鑑賞する人々が同じポーズを取っているダヴィッド・プリュドムの「ルーヴル横断」とか。あとはエンキ・ビラルが美術品にまつわる幽霊を妄想する「ルーヴルの亡霊たち」も面白かったな。それに対するところの日本の作品はどこまでも空想が広がっていくというか、開かれていくというか…まあ荒木飛呂彦が言うようにエンターテインメントに徹しているというのもあるのだろうが、たとえば遠い未来にルーヴルの建物が消えて美術品が世界に散乱している…ルーヴルが消えたようでいて実は世界全体がルーヴルそのものになっているという寺田克也の「ルーヴル消失」と、同じく遠い未来のしかし全てが氷に埋もれて文明が失われた世界で、ルーヴルの遺跡から美術品(それが何なのか発掘者たちは理解していない)を発掘しているというニコラ・ド・クレシーの「氷河期」の違いとか。ともあれ展示されているのは作品の一部抜粋でしかないようだったし、ここの数人の作家からバンドデシネ全体を語っても仕方がないのだろう。とりあえずそのように感じたということだけ記しておく。
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あー、シン・ゴジラのインデペンデンスデイ感はあったよなあ。
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全ラノベデマ入場です!!!
ゴブリン殺しは生きていた!!
更なる尾鰭を付けてデマが甦った!!!
「最近のラノベには『ピンチになります』という注意書きがある」だァ――――!!!
伏線はすでに我々が張っている!!
「最近のラノベでは伏線という手法が使えない」だァ――――!!!
文学フリマから炎のデマが上陸だ!!
「ラノベ新人賞で異世界召喚が禁止された」!!!
めい土の土産にプロデビューとはよく言ったもの!!
達人のデマがいまTwitterでバクハツする!!
「ラノベ新人賞では40歳以上は年齢だけで落とされる」だ―――!!!
タカァァァァァいッ説明不要!!
一冊600円!!! 印税10%!!!
「ラノベ作家の平均年収は6000万円」だ!!!
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人と関われば関わるほど、嫌な記憶は増えていくし、自分の嫌な部分が相手に知られていると思うと、何もかも嫌になって、関係を断ちたくなる。人に慣れれば慣れるほどボロが出る。リセットしたい。
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ザ・社会人みたいな人が苦手なんだよな。「私だって仕事は嫌だしいろいろ苦労もあるけどみんな我慢して頑張ってるんだから私も頑張んなきゃいけないしおまえも文句を言わずに働け」みたいやつ。マジ無理。
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マクロスΔの「観やすさ」は、「F」と比べたときに「男らしさ・女らしさ」の描写が薄いことに由来するのではないか、という気がした。つまり、女みたいな容姿でことさらに男らしくあろうとするアルト、恋に恋するランカ、いかにも女性らしく振る舞うシェリル、女好きのミハエル…あたりと比べて、さっぱりした性格のハヤテ、無邪気なフレイア、軍人で生真面目なミラージュ、何を考えているのか分からない美雲さん…といった感じで、男性性・女性性が脱臭されている感がある。このあたりは「F」の三角関係を盛り上げている要因でもあり、「Δ」の三角関係がいまいち盛り上がらない原因でもあるのだろうが、ともかくウェットに男女の関係を描いていた「F」よりも、「Δ」の描写のほうが個人的には好ましく感じる。