SANDBIRD

日記

マクロスΔの「観やすさ」は、「F」と比べたときに「男らしさ・女らしさ」の描写が薄いことに由来するのではないか、という気がした。つまり、女みたいな容姿でことさらに男らしくあろうとするアルト、恋に恋するランカ、いかにも女性らしく振る舞うシェリル、女好きのミハエル…あたりと比べて、さっぱりした性格のハヤテ、無邪気なフレイア、軍人で生真面目なミラージュ、何を考えているのか分からない美雲さん…といった感じで、男性性・女性性が脱臭されている感がある。このあたりは「F」の三角関係を盛り上げている要因でもあり、「Δ」の三角関係がいまいち盛り上がらない原因でもあるのだろうが、ともかくウェットに男女の関係を描いていた「F」よりも、「Δ」の描写のほうが個人的には好ましく感じる。

まったく聞いたこともない作品の連載三十周年のお祝いをしている写真を見かけて「まだまだ自分の知らない世界があるんだなあ」と感心していたらドラマ「重版出来!」のセットだった。三蔵山龍先生。

憂鬱。結局のところ自分と気が合うのは自分だけなのだ。本音を言ってもどこかで聞いたような理屈で説得されるだけだ。そこで意地を通しても何にもならぬ。そして人間と人間のあいだに業が積もっていく。逃げたい。

1. ひとつのジャンルしか取り扱わない市場
2. ひとつのジャンルが流行するとそれが大勢を占めてしまう市場
3. 複数の流行が寡占している市場
4. いくつかの流行がありつつ大勢を占めることはない市場
5. 全体が巨大で流行が部分的なものにしかならない市場

1が小規模な市場、5が大規模な市場、というイメージで。大雑把な印象で言えば、漫画は5、アニメは4、ラノベやゲームは3かなという感じ。テレビドラマも3。ニコ動(同列に扱っていいのか?)とかは2で。エロゲは1.5くらい。まあ「市場」をどこで区切るか、「ジャンル」をどう定義するか、みたいな話ではあるんだけど。

面白い作品を書いてくれるかぎりにおいて作家に味方するつもりはあるけれども、「儲からないから作品を放り出すわゴメンな」と言われてなお作家の味方をするわけではないぞ、という気持ちはある。

「この恋」のような作品が打ち切られることによって、「この恋」のような作品を好む読者がラノベから離れ、今後「この恋」のような作品が出版される可能性が低くなるなら、いま無理してでも完結させろ、という話なんですよね。

鬱になると決まって昔のトラウマチックな出来事を繰り返し思い出してしまう。どんどん憂鬱になっていく。何もかも捨てて逃げ出したくなる。

うーん、いろいろと考えてしまうなあ。なんかこう、歩んできた道が違いすぎるというか。「性格」が後天的な理由によって形成されるのは前提として、その上でなお性格云々よりも経験の差が圧倒的に大きいというか。極端に言えば「過去のトラウマで性格が正反対になる」くらいの感じに近い。