SANDBIRD

日記

憂鬱。結局のところ自分と気が合うのは自分だけなのだ。本音を言ってもどこかで聞いたような理屈で説得されるだけだ。そこで意地を通しても何にもならぬ。そして人間と人間のあいだに業が積もっていく。逃げたい。

1. ひとつのジャンルしか取り扱わない市場
2. ひとつのジャンルが流行するとそれが大勢を占めてしまう市場
3. 複数の流行が寡占している市場
4. いくつかの流行がありつつ大勢を占めることはない市場
5. 全体が巨大で流行が部分的なものにしかならない市場

1が小規模な市場、5が大規模な市場、というイメージで。大雑把な印象で言えば、漫画は5、アニメは4、ラノベやゲームは3かなという感じ。テレビドラマも3。ニコ動(同列に扱っていいのか?)とかは2で。エロゲは1.5くらい。まあ「市場」をどこで区切るか、「ジャンル」をどう定義するか、みたいな話ではあるんだけど。

面白い作品を書いてくれるかぎりにおいて作家に味方するつもりはあるけれども、「儲からないから作品を放り出すわゴメンな」と言われてなお作家の味方をするわけではないぞ、という気持ちはある。

「この恋」のような作品が打ち切られることによって、「この恋」のような作品を好む読者がラノベから離れ、今後「この恋」のような作品が出版される可能性が低くなるなら、いま無理してでも完結させろ、という話なんですよね。

鬱になると決まって昔のトラウマチックな出来事を繰り返し思い出してしまう。どんどん憂鬱になっていく。何もかも捨てて逃げ出したくなる。

うーん、いろいろと考えてしまうなあ。なんかこう、歩んできた道が違いすぎるというか。「性格」が後天的な理由によって形成されるのは前提として、その上でなお性格云々よりも経験の差が圧倒的に大きいというか。極端に言えば「過去のトラウマで性格が正反対になる」くらいの感じに近い。

好きとか嫌いとかでなしに、単純に意見がことごとく合わない、という人に初めて出会った気がする。お互いに良かれと思って行動してるはずなのにまるきり正反対に行ってしまうというのは新鮮な感じだ。不幸な結末しか見えない。少し離れた方がいいのかも。

バットマンvsスーパーマン。観てきた。なんというかこう、不出来だからこそ深く刺さる、という典型のような映画だった。バットマンのキチっぷりに、スーパーマンのボケっぷり、そしてワンダーウーマンのイケメンぶり。レックス・ルーサーなんかは、原作のハゲオヤジとは違うのが不評みたいだけど、もともとのスーパーマンに親しんでいたわけでもない俺としては、かなりしっくりくるキャラクターだった。そもそも、「元ネタを知らないと映画を理解できない」と批判しながら、同時に「元ネタと違う」と批判するのは、マニアの傲りなんじゃないですかね。とりあえず俺は、来るジャスティスリーグにも興味が湧きましたよ。

ズートピア。
様々な環境を内包した大都市に様々な種類の動物たちがたくさん暮らしている、というのは、どこか舞台が限定されていたり、登場人物が限定されていたりした過去作(アナ雪→ベイマックス→ズートピアを比べるだけでもどんどん世界が広がっている)よりもチャレンジングだなあ、と思うのと同時に、その光景が完璧に表現されていて、造形や動作のひとつひとつが自然で豊かで可愛らしいのが、素晴らしいと思った。
一方で、シナリオのほうは、ちょっとどうだろう。わりと小さな事件を大袈裟に引き伸ばしている感があった。全体の目標設定がいまいち明確でないというか…前半と後半で分裂しているから、大きな一つの事件には見えなくて、しかもどっちも同じオチだという。
もちろん「偏見に晒されている人だって偏見を持っていてそれを本能やら遺伝やらという理屈で正当化しがちなものだからちゃんと考えようね」みたいな問題の戯画化が本筋ではあり、事件そのものはそれを描くためのレールに過ぎないんだけど。でもたとえば、もしも本当に肉食動物の凶暴化が本能的でどうしようもないものだったらジュディやニックはどうしたのか、っていうのは気になるよね。
あと、あの世界って異種族同士の結婚はあるのかな。ジュディとニックはあくまで尊敬しあうバディであって恋愛関係にはない…ということでいいのか。なんか、あそこまで異種族がフラットに接している社会なのに、恋愛感情だけは同種族間だけのもの、というほうが不思議に思えるが。