映画「機動戦士ガンダムSEED FREEDOM」。20年経っても視聴後の感想が変わらないな。種はキラが神になる話、種運命は人であるシンが神を殺し、しかし最後には復活した神に敗れ去る話。とすれば種自由は、神であるキラが人に堕ちる話だと言える。酷い失敗をして、信奉者のシンの前で醜態を晒して、昔みたいにウジウジして、「周りは弱くて僕は強い」という本音を垂れ流して、アスランに殴られて。相当に人間ポイントを稼いでいる。でも最後にラクスと並んであのハイライトの無い目をしながら裁きのディスラプターをもって敵対者どもを薙ぎ払い誅殺しているのを見ると「こいつら神だよな」という気持ちで終わるのである。
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映画「すずめの戸締まり」。震災の記憶を喚起させる演出は素晴らしかったと思う。まともに被災した人はなかなか観られないだろうし、海外ではどう観られるだろうかと思うところもあるが、トラウマを刺激されるほどの強烈なメッセージ性があったことは間違いない。それだけに可愛いネコやイスをお供としたピクサー的なロードムービーとの食い合わせの悪さが目立った。好きな人を助けるって言うけどイケメンに一目惚れしただけだよな…とか、人が犠牲になるのはここまで嫌がるのにダイジンが犠牲になるのは許容するんだ…とか、盛り上がりどころでおぞましい怪物にイスをぶっ刺すのなんかは完全にギャグではないか…とか、ちょっと冷静になると引っかかるところが多い。もちろん国民的大作アニメ映画を志向するにあたってどちらの要素も欲しいことはわかる。ただ「こういうラストにするならこれを入れたいあれも入れたい」と逆算で要素を詰め込んだことで全体的なバランスを崩していたように感じる。バランスは崩れているけど一撃が刺さる、なんていつもの新海映画じゃん、と言ってしまえばそうだが。
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映画「シン・ウルトラマン」。たとえばシン・ゴジラみたいなリアル調のウルトラマン、たとえば光の国や宇宙人たちを中心としたSFとしてのウルトラマン、たとえばあくまで謎の巨人と謎の怪獣が戦うプロレスとしてのウルトラマン、今回はそのぜんぶをやろうとして薄くなってしまった感じがするかなあ。原作のいろんな側面をバッサリ切り捨てて一つに特化しても良かっただろうに無理やりにでも原作の要素を入れ込んでしまうオタク的感性が裏目に出ている…というか。ゴジラは元が映画でシンプルな作りだけど(シリーズを重ねるにつれて様々な路線変更が行われたとはいえ)、ウルトラマンはテレビシリーズだから初代ゴジラほどストイックに作られてない。そういう題材の違いが顕著に出てるのかもしれない。あとCG周りは狙ってんのか知らんけどやっぱりショボいよな。
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映画「ザ・バットマン」。サスペンス7:アクション2:ロマンス1くらいの配分。クライムサスペンスとして観ると、まあ普通というか、こんなもんか感があって、「バットマン」というスパイスがあってこそ面白いように思ったが、もともとバットマン自体が探偵ものとして始まっているらしいので、じゃあそれはバットマンのそもそもの面白さなんじゃね、という気もする。キャットウーマンとのロマンス要素は好き。今回のバットマンはまだ若くて未熟なので童貞感があるというか、「普段はガサツで生意気な姉ちゃんと喧嘩してばかりの捻くれ中学生がふとしたきっかけで姉ちゃんとキスしちゃってドキドキ」みたいなラブコメ感がある。ないですか。リドラーをゾディアック事件的な劇場型知能犯と捉えるのってこの映画の独創なんですかね。それは良かったところ。カーチェイスはやや冗長に感じた。全体として「上手い」映画だけど個人的にはあんまり刺さらなかったな。BvSが下手な映画だったけど刺さったのとは対照的で。
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映画「ジョーカー」。
ストーリーは真に迫っていて自分と重ねるところもあったけど不思議と精神に来ない。
いま自分が抱えている閉塞感と、アーサーの閉塞感は違うな、という感覚はある。
あと、アーサー、最初からけっこう現実的な狂人なんだよね。
フィクション的なヒャッハーな狂人じゃないし、徐々に狂っていくのでもない。
言うなれば「誰にでも起こりうる悲劇」というより「誰かに起こりうる悲劇」という塩梅なんだ。
ウェインもマレーも母親も本当に悪意的な存在なのかわからない。
わからないままアーサーは暴走していく。
狂ってるのは世界か、アーサーか?
ジョーカーのオリジンであると同時にバットマンのオリジンでもあり(いやバットマンは出てこないけど)、これはあくまでアメコミ映画だ、という空気も残ってる。
リアルだけどリアルじゃない、フィクションだけどフィクションじゃない。
ワンダーウーマンでも思ったけど、物語の舞台がレトロなので、そこで余計にフィクションみを感じるのかもしれない。
冷たい牛乳に温かいコーヒーを注いで温度がダマになってるイメージかな。
でもなんか、しばらく映画のことを、アーサーのことを思い出しながら生活することになりそうだ。
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天気の子。あの大ヒット作の後に錚々たるスポンサーを抱えてやるのがこんなピーキーな話かよっていうのが最高だったな…そして、この話を俺は大人の視点で観てしまうからもうダメだな…と思った。セカイの危機と好きな女の子と、どっちを選ぶかという話で、好きな女の子を選んで大丈夫なんだ、という話。これを非オタが「君の名は。」みたいに受け入れるのなら、オタクにとってのゼロ年代がいま一般人の2020年代として始まるのか…と思ったりもした。っていう語り自体がゼロ年代くさいよね。わかる。
「子供が大人の社会に混じる話」「子供が大人から逃げ出す話」「子供が大人を頼らないせいで追い詰められていく話」「子供が子供であることを肯定する話」あたりの類型の複合なんだよな。でそこにボーイミーツガールや超能力迫害ものや逃避行やセカイ系といったベタな要素を足している。そこのバランスが良いんじゃないか。
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「ヴェノム」観た。起承承結みたいなストーリー。パニックホラー的な作品ではなく、主人公とヴェノムのバディものだと聞いていて、確かにそういうところはまあ良かったんだけど、ヴェノムが前に出てくるまで意外と時間がかかったせいで、せっかくの良いところが描写不足かな。というか、余計な段取りが多すぎるというか。アメコミ映画でオリジンから始めるとダルい、というやつかもしれない。吹き替えだったんだけど、ヴェノムの声がちょっと聞き取りづらいのと、最後の引きのシーンで言葉遊びになってるところがダメになってたので、字幕のほうがいいのかも。
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来世は他人がいい、Pixiv版と比べると、吉乃があんまりヤクザに深入りしてないのが気になるポイントなんだよな。「ベタベタしてないけど分かってる二人」という感じが薄いような。
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「未来のミライ」。幼児期の現実と妄想のあわいを描くタイプのローファンタジーという感じ。形式としてはオムニバス的な。やはり、事前のプロモーションで時かけっぽい期待をさせたからこその低評価なんだろうな。最初からこういうものだとしてみれば悪くない。むしろ、サマーウォーズやバケモノの子のようなとっちらかったところがないぶん、それらよりも出来が良いといえる。ただ、相変わらず家族描写は鼻に付く。くんちゃんのクソガキっぷり、クソわがまま、クソうるささは、マジでムカつくんだけど、まあ子供ってこうだよね感もあり、というか細田守が「子供ってこうだよね(苦笑)」と言っているようで、くんちゃんの両親の子育て雑感みたいなのも、細田守の「育児って大変だよね(苦笑)俺も大変だったよ(苦笑)ま、子供は可愛いけどね(苦笑)」みたいなのが透けて見えるようで、非常にウザい。おまえの日記じゃねえんだよ。でも細田守、テーマとかは好きくないんだけど、やはり「アニメ」が上手いなと思う。ひいじいじがイケメンでしたね。
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何かをしたいけど何もしたくないからとりあえず出かけてみて何かないか探してみるけど結局は何もないので何もせずに帰るという行動を繰り返していてひどい。
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ダーリン
ストーリーも設定も手垢付きまくりだけど面白く感じるのは作画や演出の賜物なのかな。マンネリ感も出てきているのでクライマックスに向けて正念場だ。
ウマ娘
予想の100倍くらいよく出来ている。とにかく作りが丁寧なのでどんなに馬鹿馬鹿しくても観れる。ただダービー同着はスペの栄誉が半分奪われたように感じた。他の世代の話も見たいが完全再現するには社台の協力が必要か。無念。
メガロボクス
最高of最高。視聴者が期待するものに100%応えている。あざといくらいの泥臭さ。後半に期待。
銀英伝
予想の10000倍くらいよく出来ている。ラインハルトのキャラデザがやや気に食わないくらい。この期に及んでOVA版のことを言うのは単なる懐古厨なので気にしなくていい。あとは十分な尺が取れるかどうかだけが心配。
ヒナまつり
原作のパワーがそもそも強すぎるから再現しきれてないだけで十分に良い仕事をしていると思う。